世界はとってもきれいだね
その目には全てが等しく映る。
この世界は一体なんなのだろう。
科学技術の発展によって現代社会における実存の定義は一変した。今や私たちは地球に元来存在しなかったものを生成し、当たり前のように消費している。物質は不可視なエネルギーとなり、情報となり、遂には知能となって私たちの思考を超えるのは目前だ。人間中心主義から俯瞰することは困難で、私たちは全体として機能するシステムの一部でしかないのに、その全てであるかのように誤解して生きている。生命という枠組みすら私たちの尺度によるもので、その尺度によって数多の分類が作用し阻害する。
「ごみ袋のごちゃ」は人為的に生み出された人工物である「ごみ袋」をモチーフとし、日本のキャラクター文化や地球的規模の環境問題を背景に現代社会を象徴するキャラクターである。生命や自然の美しさ、そしてその不条理を、命を持ったごみ袋の「ごちゃ」は体現している。
人間の尺度で分類する不要物を包むために、私たちはごみ袋を作る。不要とされるものをごみ袋は包み込み、ごみ袋それ自体は不要ではないのに共に捨てられる。この人間社会で分別され、不要とされるものを大きく包み込む自己犠牲の象徴がごみ袋だ。全てが等しいという尺度からすれば「ごちゃ」は全てを内包し、彼もまた世界に内包されている。
プラスチックは、エコロジーの観点からすれば有機的分解を拒絶する素材だとされていたが、それを分解する微生物も現れているという。プラスチックは石油から人工的に作られ、石油はかつて繁栄していた生物の死骸から成り立つ。私たちは地球の一部であり、人為的に生成されたものもまたその一部で、それ自体でもある。
全ては相対的だ。あらゆる現象が生まれては消え、この世界で廻り続ける。原子、細胞、地球、宇宙のように私たちが認識し得るその先は、ミクロにもマクロにも無限に繋がっている。半透明な境界はその全てを曖昧にする。その膜を通せば、世界は等しく見えるはずだ。
全ては内包されている。
全ては繋がっている。
全ては等しく美しい。